トップ > スポーツ業界で働いてみる?



【第05回】 谷塚哲さん(33)~REGISTA.LL代表

仕事でスポーツに携わるには、<資格取得>というルートもある!  今回ご紹介するのは、行政書士であり、専門家による専門的なスポーツマネジメント組織「REGISTA.LLP」の代表である谷塚哲さん(37)。 30歳まで現役でプレーを続け、その後国家資格を取得。現在は、クラブマネジメントなどの仕事をこなすというキャリアを持つ。 30代前半にして大きな転換を図った理由とは? それを成功させた秘訣とは? 都内・青山で話を聞いた。



―サッカーのプレー経験も長いとお聞きしましたが、この資格を取得しようと思った動機は? 
30歳まで、関東リーグのチームで現役をやっていたんです。GKでした。 高校は埼玉の武南高校で、ひとつ下に上野良治(元横浜FM)がいました。後輩には金沢浄(磐田)もいます。武南高校は、私が入学する前は2~3回しか全国大会出場経験がありませんでしたが、ちょうど僕が入学する頃から7年連続で高校選手権に出場したんですよ。 大学は順天堂へ。当時はまだJリーグがない頃でしてね。大学進学が当たり前の時代でした。高校も一番強いところだったから、大学も一番強いところに行こうと。同級生には名波浩(元磐田)がいましたね。 自分は4年間やって、「たとえプロに行けても、長くはやれない」ということを自覚した。だから、JFLや地域リーグで仕事をしながらやれたらいいなと思っていたら、ちょうどその時に、関東リーグのチームから声がかかりましてね。 30歳までは仕事を続けながら、プレーを続けました。チャンスがあればJFL昇格を伺うというスタンスでね。 途中、3年間は東京都の国体選抜にも選ばれました。

―引退後、資格の取得を決意したそうですね?
その時は、どの仕事をやろうか少し考えました。会社に残るという選択肢もあるが、大学卒業後、30歳まであまりたいした仕事はしてこなかった。「ちょっとサッカーやスポーツから離れたところで勝負したいな」と考えていたところに、「行政書士」という資格があることを知った。国家資格でもあるし、スポーツと対極の位置にある。だから頑張って取ってみようかなという気になった。

―「行政書士」とはどのような仕事なのですか?
確かに、周囲からは分かりにくい面がありますね。日本では、法律にかかわる国家資格が3種類ある。弁護士、司法書士、行政書士です。この3者、じつはやっている仕事の内容は7割~8割くらいが同じなのです。最終的に、法廷に立つことが出来るのが弁護士。土地や建物の登記をやるのが司法書士。我々行政書士は、許認可や契約書の作成を専門としているわけです。 いっぽうで、一般的な法律相談やコンサルタントは、知識がありさえすればどの資格を持っていても出来ます。

―これまで資格を活かしてやってきたお仕事はどんなものがありますか?
地域のサッカークラブがNPO法人格を取る際の申請をやらせていただくこと。さらにその法人格を取ったクラブは、「好きで集まった」というサークルから発展していくわけですから、その運営のお手伝いだとか。地域スポーツレベルでは、それが一番多いですね。 プロスポーツでは、契約書の作成や外国人監督の就労ビザ取得の手続き。あるいは、地域リーグからJFLを目指すクラブの資金作りや法人格の取得。企業スポーツのクラブチーム化の際のコンサルタント。 現場での経験を積み重ねてくると、それらをまとめた話をして下さいという依頼も入ります。講演や執筆もやらせていただいていますね。スポーツ界における、肖像権や著作権といった法律、あるいは会計などの話は、基本的に僕らの組織で全部話が出来る状況になっていますから。

―「サッカーと離れたところ」とおっしゃった資格取得と、サッカーが今は繋がっていますね。
僕も当初は、普通に企業とのやりとりなどをやっていくイメージがあったんです。でも実際にはこの世界の仕事は、すべての分野を一人で行えるわけではない。逆に専門分野がないと勝負できなかったんです。わかりやすくいうと、弁護士さんには専門分野があるでしょう? 離婚問題に強かったり、企業の法務に強かったりだとか。そこで、自分も考えた。自分の武器になるものは何だろうかと。行政書士の試験に同期で受かった人たちを見ても、だいたいは法学部や法律事務所の出身という人たちばかりなわけです。 そういった人たちと同じ分野で今から競争しても勝ち目はない。やっぱり自分にはスポーツだったわけです。そこから調査をはじめました。スポーツの分野で、法律的な資格は生かせないかと。すると結構可能性があることが分かった。選手の契約や、チーム立ち上げの際の法人格取得、プロチームなどの外国人選手のビザ取得などですね。結構、やりようがあったんですよ。それが知られていなかっただけで。自分がそれまでサッカー界で培ってきた人脈も活かせましたし。

―30歳からの再スタートとなりましたが・・・。
単純に、僕は30歳までサッカーをやった。だから、30歳を過ぎて何をやるか? と考えた時に行政書士をやると決めたというだけの話です。そこに不安や心配はありませんでしたね。「やりたいから、やる」という。サッカーは仕事を続けながらやった。チャンスがあれば、JFL昇格を伺うというスタンスだった。そのために仕事は、土日などはしっかり休める職場を選んだ。待遇は当然それに見合ったものになりますが、それを理解してやる。そこは徹底しました。次のステップでは、資格を取りたいから取るという考えで。

―試験勉強は大変だったのでは?
僕の場合、サッカーでの現役の最後の1年は仕事と勉強とサッカーとが入り混じった、大変な生活でした。行政書士の試験の場合、4月から受験の専門学校が開校して、10月に試験がある。まぁ1年めは合格するのはかなり難しいですよね。 2年めの試験では、サッカーを引退していたのでその分の時間はとにかく勉強に充てた。土日はひたすら勉強していましたね。合格できたのは、運が良かった面もあったと思いますけど。 自分自身が合格した後、あまり情報は追っていないのですが、最近の合格率は一桁台だと聞いています。ここ数年では3~4%だったときもあるようですね。僕の時も10%台前半だったと聞いています。


―仕事でスポーツに携わりたいが、その方法を模索している人も多いです。
法的な資格を持ってスポーツに携わっている人って、少ないといえば少ないです。そういう方法はアリだと思います。Jリーグやプロ野球を取り巻くスポーツビジネスには、権利、法律、会計といった要素が必ず含まれていますから。そういった意味では、スポーツビジネスに携わるために資格を取るというのはひとつの近道かもしれませんね。資格を取ることにより、信頼性が高まるという部分は確かにありますから。

―谷塚さんが設立された会社「REGISTA.LLP」の形態も興味深いですね。弁護士、選手代理人、会計士が所属するスペシャリスト集団という位置づけなんですね?
そうです。自分が受けられる分野以外の仕事の依頼も入ってくることがありますから。当然、仕事を依頼してくださる方には、最初に言った3種類の資格の区別がついていないケースも多いですから。とにかく、自分のところに話をいただければ、社のなかでなんとかする、というスタンスを取りたかったんです。僕は法廷に立てないですし、税務会計について、お金をもらって処理をやってはいけないことになっている。この問題を解決するためには、僕の持っている専門分野と、その周辺の専門家のつながりでマネージメントをやっていくというかたちにしたかった。いま、国内でこの横のつながりをもったスポーツマネジメント組織というのは我々だけなんですよ。弁護士や会計士が集まった集団はありますけどね。おかげさまで、まったくお門違いの依頼も我々のところに来るようになりましたけどね!

―将来像をお聞かせください。
私には、地域のクラブづくりの理想像があります。これを浸透させていくことですね。 プロ・アマ問わず、地域のスポーツクラブづくりとは、すなわち街づくりだと考えています。単純にチームだけ作って、強くなっても誰も応援してくれません。ベクトルを街のほうにどんどん向けて、スポーツの価値を高めることを考えなくてはならない。対象はサッカーだけではなく、バスケット、野球、バレーボールなどのクラブ運営の仕事にも携わりたいと考えています。 いま、現状は「大きい企業がお金を出してくれてるからやっています」というクラブが多いでしょう? そうじゃない、という僕なりの考え方を浸透させていきたいですね。10年後には「あ、あの時谷塚が言っていたことが現実になったな」と言われるようにね。今は理想論を語っている部分があるかもしれない。でも、理想すら語れなかったら、何も始まらないと思っていますから。そういう考えをもって仕事に取り組んでいます。

谷塚さんの話からは、重要なポイントがいくつか見出せる。まずは、やりたいことがはっきりしていること。(これは、何の仕事をするにも大前提か!) さらには、「自分に足りない部分は、別の専門家とパートナーシップを組む」という、ある種の割り切りがしっかりとなされている点だ。これもまた、自らの専門性がはっきりとしているからこそ可能なことだろう。<資格取得>した上で、自分の得意分野を見つける。この方法、トライする価値はあるのでは。



谷塚哲(やつかてつ) 1972年埼玉県生まれ。武南高校・順天堂大学とサッカーを続け、社会人は地域リーグでJFL参入を目指す。30歳で現役を引退し、行政書士試験合格。平成17年にスポーツ法務事務所/谷塚行政書士事務所を開業。専門家による専門的なスポーツマネジメント組織の確立を目指し、REGISTA.LLPを立ち上げる。

吉崎エイジーニョ(よしざき・えいじーにょ)1974年6月12日生まれ。福岡県北九州市出身。本名は英治。小倉東高-大阪外大。大学時代に学んだ朝鮮語を活かし、00年よりフリーランスの書き手として独立。韓国サッカーを描くスペシャリストとして活動する。05年、そこに飽き足らず、欧州行きを決意。書き手自らがプレーヤーとして選手心理を体験する取材スタイルにトライする。自ら「海外組」となり、現地10部リーグで13試合出場1ゴールを記録した。 いっぽうで、現地で見た、整備された現地のアマチュアリーグの環境に衝撃も受け、その環境をなんとか日本で再現できないかと企む日々を送る。08年10月、Numberにて新連載「日本サッカー研究所」をスタート。その第一歩を記した。「国内組」スポルティーバつくば(茨城県3部リーグ)でのプレーを開始。まずは日独の比較研究に取り組む。

【著書】オレもサッカー「海外組」になるんだ!!!  
(「BOOK」データベースより) 吉崎エイジーニョ、職業スポーツライター。30歳になり、急に現在と将来に不安をおぼえた。突然、唯一の雑誌連載を打ち切られ、気が付けば、20代の時にいた女の子はすべて姿を消していた。腹もぽっこり出ている。20代の勢いがぴたっと止まった。なんかヤバイ。悩みに悩んだ結果、新たな取材テーマを求め日本を飛び出すことにした。行き先はドイツ。プロのリーグ「ブンデスリーガ」の下に12部くらいまでリーグ戦が存在するという。これに挑戦する。すぐに周囲に宣言した「オレ、海外組になるから!」周りからはまったく理解されなかった。ごもっともだ。それでも、何かに突撃せねばならなかった。